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【選手インタビュー】三浦浩 選手

2017.06.05
コラム


                









本日はよろしくお願いします。

まず最初に競技を始められてどのくらいですか、始められたのは何歳の頃ですか?

競技は12年くらいですかね。ケガしたのが36か7くらいだったかな。そこから2年後くらいなんで40手前くらいですかね。


ケガする以前からスポーツとの関わりはあったんですか?

スポーツはしてなかったですね。もともとはライブスタッフだったので、もう音楽にどっぷり。車いすになってからは長渕剛さんオンリーのライブスタッフですけど、その前はいろんな歌手の方とやらせていただきました。約25、6年くらいですかね。

ケガした後は、車いすになりながらも長渕さんのツアーは10年くらいずっと回っていました。


長渕さんのライブスタッフを通じて今に活かせていることはどんなことですか?

一言でいうと努力を怠るなってことでしょうかね。口癖に言うのは、120%の力を発揮するために、100%のことは当たり前だっていう(笑)。 手抜きはしないっていうか、そういうところはありますね。


競技を始めたきっかけは?

競技を始めたのは、2004年のアテネパラリンピックで宇城さんが出場したのがきっかけですね。あーこういう競技があるんだと思って。アテネのパラリンピックで出場していた宇城さんを見て、こういう人がいるんだと。やり始めてからこの人に勝ちたいと思って(笑)。


テレビで見て知ったんですか?

ターザンとていう雑誌なんですよ。ちょうどアテネパラリンピックの特集でいろんな競技をやってて、パラリンピックの競技って何があるんだろうと見ているときにパワーリフティングがあって、宇城さんだと思って-

まだその時も全国ツアーを回ってたので、地方に行ったときに練習ができる環境のあるスポーツをしたかったんですよ。いろんなところにジムはあるじゃないですか。だからこれだったらできるなっていうのがパワーリフティングだったんです。道具を運んでやらなくちゃいけなかったりするのは辛いし、水泳ってあまりピンと来なかったんですよね。

もう一つはやはりケガしたときに400キロの物を倒して支えきれなくてケガしたので、重たいものを挙げる競技にはすごく魅力がありましたね。だから400キロ挙げたいって気持ちが今でもあります(笑)。


それを怖いって感じるのではなく?

負けたやつに勝ちたいですね、長渕流でいうと(笑)。

その頃ちょうど(体重が)60キロくらいあったんですよ。まず競技がどういうものかを調べて、階級があるんだ、じゃあまず何キロにしようっていうのと、ウエイトトレーニングをしたことなかったので、長渕さんに紹介してもらった御徒町にあるトレーニングセンターに1年くらい通って、そこで肉体改造、減量の仕方、全て教えてもらって。最初は40キロ(記録)くらいだったんですけど、1年かけて90から100ちょっと手前くらいまで挙がるようになったので、「あーそろそろ試合にでてもいいかな」っていうところから始まりましたね。初めから100キロ挙がらなかったら試合には出ないって決めてたんで。


それは自分で決めたんですか?

そのころ確か日本記録がちょうど100キロだったんですよ。まず狙うのは日本記録じゃないと出たくないみたいな気持ちはありましたね。一番最初に出た試合は健常者の大会だったんですよ。大阪の大会だったんですけど、そこで97.5を挙げて県外の部で優勝だったんです。そこからなんか、あっ金メダルもらえたみたいな感じで。


パラリンピック出場を考えだしたのもその頃?

まあ(試合に)出るからにはそうですね。アテネの時に長渕さんが桜島でオールナイトコンサートしたんですけど、それが終わったときに自分で次の目標設定としてパラリンピック競技で何かできるものがないかっていうところからパワーリフティングを見つけて、じゃあ次は北京目指しますみたいな感じで。


競技をやってる間も長渕剛さんのライブスタッフとしての活動はずっと継続されてたんですか?

はい、していましたね。だから北京まではツアーが忙しいと試合出れないことがありましたね。最終的にロンドン(パラリンピック)の前にパラリンピック一本に絞ろうっていう気持ちになってたので、2010年の終わり頃まで長渕さんのツアークルーをやって、そこで辞めさせていただき真剣にロンドン目指しますという感じになりましたね。


長年やられてきたスタッフやめてパラリンピックに集中するっていうのは大きな決断でしたか?迷いとかは?

もう決めたらね、なんか貫いちゃうんですよ(笑)。なんか追求しちゃいますよね、いろんなことを。


それは趣味とかでも?

趣味か・・・。ウェイトトレーニングすることがライフワークの一環で、体を動かさないとなんか気持ち悪い。あと最近イギリスのコーチが来て合宿に行ったときに、いっぱいクレイジーって言われて、今までやってきたことダメだしされたんですよ。食事の管理だったり、休養の取り方だったり、トレーニングの集中の仕方だったり、試合に向けての身体作りとか、全部のことを2日間くらいでぎゅっと収縮されてそれをやれって。で、いまそれをやってるんですけど、そうするとなんかもう食べることも、普通はお腹すいたら食べるけど、そうじゃなくてトレーニングしてこういう身体になる、身体のために食べるみたいな。だから何を食べてどうしようかっていうことを最近すごく考えるようになりましたね。いろんな新しいことがどんどんどんどん出てくるので、面白いですよね。


練習や食事管理など苦しいと感じることもありますか?

苦しいと思ったことないです。車いす生活に突然なって、足を動かさないで日常生活にもどるリハビリをした経験や、長渕さんの桜島オールナイトライブでの過酷さっていうのが一番身に染みてて、人生の中でもうほんとにこれ以上苦しいことはないと思っているので。あとは何万人ものお客さんの前に歌う方がいてそれを支える―。本来すべて自分じゃないですか。競技するにしても、記録を出すにしても。自分がどう頑張って、どうみんなが協力してくれるかなんで、逆に言い換えると、そのステージに立てるのが僕になったのかなっていう。そうすると、やっぱちょっと見方が変わる。


支える側から、支えられる側に。舞台で演じるという役になってきたということですね。競技者としての今の目標は?

もちろん東京(パラリンピック)もそうなんですけども。まあ生涯現役でいたいというのはあります。健常者のベンチプレッサーの方で88歳の女性のベンチプレッサーもいて。そういう方に見習って、生きている間は現役でいきたいなって。

支えられるイコール自分を輝かせる場所っていうか、そういうのがある以上はそこを求めていきたいなっていうのが目標ですね。

あとは家族が僕のやりたいことをずっとやらせてくれて支えてくれるいるので感謝しています。


パワーリフティングを通じて関わっている方のために何をやりたいとう想いはありますか?

その人たちのためにというか、努力する人には協力する人たちが集まってくると思うんですよ。それはやっぱり真剣に自分の目標をもって競技をしていれば、協力してくれる人が集まってくる。やはり自分だけじゃなくて、その方たちのためにも恩返しができる、と思っています。

 

ありがとうございました。三浦選手、がんばってください!

インタビュー日時:2017年4月19日@順天堂大学佐倉キャンパス 

取材/武井誠一郎 

撮影/飯田将茂 

文/服部努


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