選手紹介

宇城 元

ウジロ ハジメ
強化A
80Kg級

プロフィール


■プロフィール

兵庫県出身、千葉県佐倉市在住

1973.1.28生まれ

男子80Kg級日本記録保持者

2004年アテネパラリンピック出場(8位)2012年ロンドンパラリンピック出場(7位)

「パラスポーツメッセンジャー」として講演活動も積極的に行っている(詳細は<こちら>※外部リンク)



■2枚目の名刺 サポートプロジェクト2017 インタビュー


日時:2017年4月19日@順天堂大学佐倉キャンパス 

取材/武井誠一郎 

撮影/飯田将茂

文/加藤みつき


―――プロローグ

これまで、アテネパラリンピック(2004年)、ロンドンパラリンピック(2012年)に出場された宇城元(うじろ はじめ)選手。2020年に東京で開催されるパラリンピックに向けても、期待のかかる選手の一人です。

今回のインタビューでは、宇城選手のパラ・パワーリフティングに対する想いや、今後の目標について、お話を伺ってきました。記事を読んでくださっているみなさんに、パラ・パワーリフティングの競技そのものの魅力だけではなく、宇城選手の魅力もお伝えできたらと思っています。


――今の目標を教えてください。

それが実は…去年の7月に左肘を手術したんです。手術後の今、どのくらいのパフォーマンスが出せるのかを今確認しているところですが、今年7月に北九州市で開催されるジャパンカップで185kg程度を、同10月にメキシコシティで開催される世界大会で193kgを目標にしています。世界大会では順位にこだわりたいので8位以内が目標ですね。


――そうだったのですね…。少し遡って、パラ・パワーリフティングを始められたきっかけについて教えてください。

幼い頃から、野球に水泳に、100m走、1500m走、それからサッカーと、色んなスポーツをやってきました。大学4年生、21歳の時ですね、バイクに乗っていて、ちょっとスピードが出ていたかなと…。この交通事故が原因で車椅子生活になりました。車椅子になると、多くの人が車椅子バスケットボールを始めますが、僕もそうでした。それから4年経ったときに、パワーリフティングと出会いました。もっと正確に言えば、入院中にお見舞いで貰ったボディビルマガジンで出会っていました。

「俺に向いている!」パワーリフティングを始めたとき、こんな感覚を覚えたんです。その当時は競技について難しいことはあまり考えていませんでしたが、やっていたら記録が伸びるなーという感覚がすごくありました。それから、車いすになったときに、「すごい人だな」と思っていた車いすの人が、パワーリフティングを長きにわたってされているということを知っていたので、そういう人になりたいな、と思っていたというのもあります。


――その方への憧れもあって、競技を始められたのですね。パラリンピックに初めて出場されたのは、競技開始から何年だったのでしょうか。

そうですね、ちょうど5年です。1999年に競技を始めて、5年後、2004年に開催されたアテネパラリンピックに出場しました。



――パラリンピックへの出場は競技を始められたときから目標とされていたことだったのでしょうか。

うーん、最初の頃は多分あんまりパラリンピックとか何も考えていませんでした。健常者の大会に出場していたんですけど、健常者の大会で優勝したいと強く思って、競技をやっていました。やっぱり健常者にまずは勝ちたいということを、当時かなり強く思っていましたね。



――障がい者のパラ・パワーリフティングは、健常者のパワーリフティング世界記録を上回っていますよね。このことについて、パラ・パワーリフティングのすごい魅力だと捉えられていますか。

正直今は何とも思わないですね。健常者より強いとか弱いとか、競技を始めた当時は多分健常者に勝ちたいと思っていたと思うんですけど、今は全然そういう気持ちは全くないです。始めた当初のモチベーションとしては、誰かに勝ちたいとか、他の選手よりも、という想いが強かったです。やっぱり、最初の頃何回出場しても2番、2番、2番、だったんですよ。2番続きで、本当に1番になれなくて、1番に憧れてという感じでした。それが今はちょっと違っていて、障がい者だから、健常者だから、というのは、自分の中で全く関係なくなってきました。



――考え方も徐々に変わってきたということなのですね。今はご自身の記録を更新するとか、そういうことが一番大きいのでしょうか。

今は原点に戻って、もう一回強くなりたいっていう気持ちが一番かもしれないですね。それが今一番の想いです。



――アテネパラリンピックに出場されたときに競技歴5年ということは、今はもう競技を始められて17、18年ですよね。その中で、モチベーションが下がったり、上がったりということはありましたか。

やっぱりありますね。仕事をしていると、どうしても競技のことを忘れるときもあるし、やっぱり忙しいときもあるじゃないですか。そういうとき、競技に対するモチ

ベーションは、下がっているわけではないのでしょうけれど、自分の頭の中から消えてしまいそうになると思うんですよね。それでも、ロンドンパラリンピックに出場しようと思ったときは選手生命を賭けて、自分の中ではこれでダメだったら競技やめようと思って頑張っていたものですから、仕事がどうとか関係なく、絶対やってやろう、と思っていました。



――ロンドンパラリンピックに出場された後も、やっぱり競技を続けよう、という気持ちになられたのでしょうか。

オリンピック・パラリンピックの東京開催が決まって、今順天堂大学に勤めているんですが、競技活動にも理解のある勤務先なので、余計にやる気になりましたね。



――お話を伺っていて、競技への熱い想いがひしひしと伝わってきました。競技者として、だけではなく、他のいろいろなお立場もまたあると思います。お仕事や、ご自身のプライベートの中で、何か想いを持って、こんなことをしてきた、ということはありますか。

今一番大事だなと思っているのは、競技のことばかり考えていたらダメだな、ということです。家族のことも考えないといけないし、周りの仲間のことも考えないといけないし、という感じで楽しくやれることが一番大事かなとは思っています。

今特に、パワーリフティングはたくさんのメンバーで東京パラリンピックに出場しよう、となっています。そういうみんなで一緒に行きたいなというのが一番強いかもわかんないですね。最近は連盟の練習場が京都にもできて、みんなと一緒にご飯食べたりして一緒にいる時間が長いじゃないですか。みんなと楽しくやって、そして東京へっていう、なんかそんなシナリオが描けるかもしれないですね。



――競技を始めた当初の「自分が強くなりたい」という想いが、今は自分だけじゃなくて、周りを巻き込んで、「一緒に強くなろう」という感じなのでしょうか。ここまでお話を伺う中で、どんどん夢が大きくなっている、という印象を持ちました。

そういうものでもないですね(笑)多分、自分の頭の中で、今まで「強くなりたい」が10くらいあったのが、2か3くらいになって、その他のことがそういうことも考えられる余裕ができた、というか…。占める割合がただ変わっただけだと思うんですけどね。盛り上げたいっていうのもあんまりないので、自然にやっているんだと思います。



――目の前のやることをやってきたら今があって、今の大きな目標というのはみんなで同じ目標を達成しようというものなのでしょうか。

それも嘘かもわかんないですね(笑)本音は、多分1割くらいあるかもわかんないけど、やっぱりそうですね、さっき言ったようにもう一回強くなりたいっていうところなのかな。こういうインタビューのときに自分を作って喋るからダメなんですよね。飾らずに言えば、多分、やっぱり、強くなりたいのが基本ですね。ただ京都の合宿は楽しいですね、楽しい、本当に楽しい。やっぱり、いろいろ連盟が変わっていくのもあるし、楽しいですね。



――そういう本音を伺えてうれしいです。スポーツをやっている方々って、辛いことを乗り越えて、嫌な思いをしながら、どうにか目標を達成するというイメージが強いです。ですが、宇城選手のお話を聞いていると、本当に強くなりたいという一途な想いとか、楽しいというポジティブな想いがすごく伝わってきます。

あんまり辛いことはないと思うんですね。ただ、2年半くらいはずっと肘の痛みに悩まされたので、そういった部分ではとっても辛かったですね。痛みが辛いのではなくて、自分の才能を活かしきれない、才能あると思うんですけど、やっぱりこう競技力に反映させたいけど、反映させられない。逆に記録が落ちていくっていう、そういう経験していたときが一番辛くて。今はそうですね、肘の手術もしたしあんまりそういうネガティブなことは考えていないと思うんですけど。



――ありがとうございます。限られた時間の中で、宇城選手の胸の内と言いますか、想いを伺えて本当に良かったです。

自分がわかっていないんですよね。どんなこと考えているかとか、正直わかっていません。喋っていて、自分ってこういうこと考えているんだ、とか、そういう感じなので。



――今は肘の怪我もあるかと思いますが、まずは肘をしっかり治してください。これからますます強くなる宇城選手を応援しています。

ありがとうございました。