選手インタビュー ~ マクドナルド山本恵理 選手
(公財)日本財団パラリンピックサポートセンター(=パラサポ、東京都港区)の地下。職員用のトレーニングルームに、ベンチプレスの台が置いてある。週3回、ここで練習を行うマクドナルド=山本恵理選手は、パラサポの職員として働きながら2020年の東京パラリンピックを目指している。山本選手がパラ・パワーリフティングを始めて約1年。7月に行われるジャパンカップ(福岡県北九州市)への意気込みや自身とパラリンピックの話を聞いた。【一橋新聞部・川平朋花】
山本選手がパラ・パワーリフティングを始めたのは昨年5月。体験会で40キロを上げ、真剣に競技をやってみてはどうかと、パラリンピアンの宇城元選手に勧められたのがきっかけだ。1か月後のジャパンカップ(福岡県北九州市)では37キロを上げ、12月の全日本選手権では女子55キロ級で優勝するまでになった。
しかし、今年2月のワールドカップ(ドバイ)は無念の50キロ級6位。初めての国際試合というプレッシャーに加え、体重コントロールの苦労もあったという。パラ・パワーリフティングでは、同じ階級の選手が同じ重量を挙げた場合、体重のより軽い選手が上位となる。減量して階級を変更したこともあり競技開始前の検量に関しても気を抜くことができず、重なって悔しい結果となった。
【ジャパンカップに向けて】
現在は7月のジャパンカップに向けて練習の真っ最中。練習メニューは、今年度から合宿で指導している世界的指導者のジョン・エイモス氏が山本選手のために作成したもので、上げる回数や重量が細かく記載されている。
取材した日の練習では29キロから始め、40キロまで上げた。素早く上げ下ろしをする、上げた状態でぴたりと止めるなど、上げ方にも日本パラ・パワーリフティング連盟の吉田進理事長から指示が出る。山本選手は「重い……」と言いつつ軽々と上げていた。
途中で吉田理事長から「足の付け根から膝にかけての力が使えていないのではないか」という指摘が出た。背中のそりを大きくすることでその部分の筋肉が使えるということになり、その場でフォームを修正。背中を立てた分、バーに対して寝る位置が下にずれてしまったため、その点も修正して練習を続けた。日々の練習には筋肉をつけることだけでなく、よりよいフォームの追求やコンディションの調整といった役割もあるのだ。
エイモス氏の指導を受け、一番変わったのは気持ちだという。軽くてもおろそかにせず集中すること、自信をもって上げることを意識している。また、失敗から立て直すときや重い重量を上げる時に体を振る癖があり、きちんと寝ていた状態を崩してしまっていると、エイモス氏から指摘を受けた。
合宿後初めての大会であるジャパンカップに向け、「バーベルだけが見えていて『あげたい!』と思う気持ちが北九州の舞台で湧いてくるように、気持ちを高めていければ」と気合は十分。大会では世界選手権標準記録の57キロを目指す。
【東京パラリンピックに向けて】
幼いころは水泳でパラリンピックを目指していた山本選手。怪我で水泳は断念したが、留学先のカナダでアイススレッジホッケーを始め、2013年にはカナダ代表にまでなった。「水泳をやっていたときはただパラリンピックに行きたいという一心。アイスホッケーではチームワークの大切さやコミュニケーションの方法を学びました。パワーには、自分の結果が自分に返ってくるという面白さがあります」と山本選手は話した。
2013年にカナダ人の男性と結婚してマクドナルド山本姓になった山本選手は、マックの愛称で親しまれる。「パワーリフターというとマッチョな男性選手が思い浮かべられがちですが、さまざまな個性を持った選手がいることを知ってもらいたいです」と話し、まだ数少ない女性パワーリフターの一人として、体験会などでも精力的に活動している。
パラリンピックには北京、ロンドン、リオと3大会連続で、メンタルトレーナーなどスタッフとして関わってきたが、2020年は選手としてパラリンピックを目指す。山本選手の東京パラリンピックでの目標は3桁台の重さを上げ、メダル争いに絡むこと。パラサポの仕事と自身の練習を両立させつつ、笑顔が光るパワーリフターの挑戦は続く。